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ひとめぼれしたひと


デムナがベトモンやめた。

潔いとおもった。

だが真相はわからない。

いつだってわからない。


数年前

バレンシアガ。

でむなのエレガンスの中にある狂気に打ちのめされていた。

新しい流れがきていた。

ジョナサン アンダーソン以来の流れだと。

街はロゴに溢れスニーカーが氾濫しスポーツスタイル旋風が巻き起こった。

残念ながらわたしはそれがまったくタイプではなかった。

気付けばバレンシアガもそんなことばかりになった。

恋は冷めていた。

勝手な話である。

恋はいつだって勝手なものだ。

勝手にスタートして相手の気持ちもところかわまず騒ぎ出して衝突して崩壊する。

先日、ここで恋だとか愛だとかの話をしていたが、わたしの場合、対ファッションという関係が最大の恋なのかもしれない。

そんなことをおもって調べ物をしていたら伊勢丹の昔のキャッチコピーに射抜かれた。

マックイーンの映画の謳い文句に「恋をするように服をつくる」とあった。

劇中にでてくる台詞だ。

それをはじめてみてきいたときなみだがでた。

はなしがうまくまとまらない。

いいや。

まとめる気もない。



今後のバレンシアガが果たしてどちら側に舵をきるのか。

いつかのインタビュウでオーバーサイズはもうつくらないってゆってたよね。

もう何年も前のこと。

ファッションのことばかり追いかけて夢を見て恋をして夢中になっていると自分がおもうことと世の流れは不浄にも2〜3年くらいタイムラグが生じる。

流行りってやつだ。

そもそもこの流れさえ不条理で。

水のように流れ忘れ去られていくようなシステム。

いや、忘れないけどね。





でむなバレンシアガの大きな動きはあるのかなあ。

恋は復活劇を迎えるのか。

そういってわたしはいつだってフラフラと素敵な服はないかとパトロールに出てしまう。

で、結局いつもの場所にもどる。

同じ服がある場所に戻っていく。

それはもしかしたら恋がいつのまにか愛に育った実態なのかもしれない。わからん。わかんね。はたまたただの情けか。


そんなもんすっとばしていいんですけどね。

かっこよけりゃいいっすよ。

ファッションてそうゆうもん。

でもそれだけじゃないのも知ってる。

矛盾だ。

やっぱり恋と愛がわからん。

やっぱりどっちも大事。

とゆうか、こんなたとえをしている自分がポンコツなのかもしれないと恐怖さえおぼえる。なんで、ここだけフォントおっきくなっちゃったの。



あーニューヨーク、ミラノ、ロンドン、パリ行きたい。服に埋もれていたい。




マックイーン

下高井戸シネマで10/5から上映するよ。

4回目!いく。

もう永遠にそこに酔い潰れていたい。

天国をよく想像する。

みんながあーだこーだ喋ってんじゃないのかって。

それでもしかしたら知らないせかいでは、びっくりするようなファッションがうまれているのかもしれないって。

妄想は夢、これだけは自由。

この世に自由はないっておもっている。

だけど想像だけは自由。誰にも奪う権利はない。

そして想像をこえてうまれる第三者の色んな思惑や事情が絡んだクリエイションに惹かれる。

自分の想像通りのものには興味がない。

なんのはなしかわからん。


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