<< テレビから知らない曲。 | main | オスカーシュスター睡眠療法 >>
ある光

何億回も。






9月1日はこどもの自殺が一番多い日だという。

昨晩はNHKの生放送の番組。

それにまつわるものだ。

二時間半がおもくのしかかった。



途中で気が付いた。

今年は9月1日、今日は日曜日で、時間が1日がいつもより多くあるから、もしかしたらだれかがあの番組をみたり、たとえばだれかなにかのことばやきもちに掬われたりして、いきるじかんがまだまだながくつづいたら、と。



ひとのきもちやそのおくには誰にもさわられてほしくないものやきおくがあって、いろんな類いのそれが存在するとしたら。

あたりまえだけどそれに容易く触れることは赦されない。こどももおとなもかんけいなんてない。


だけどおとなになって酸いも甘いも辛いも痛いも多少はおぼえ、ひとをきずつけたりきずつけられたり、なにかをうしなったりだれかをうばわれたり、もうもどれないじかんをなんども巻き戻そうとしてもできなかったりして、そんなじかんのなかでときおり奇跡をみたり、誰かにてをさしのべてもらえたり、愛情をうけたよろこびや。

そんなことをすこしは記憶してきたから、できるだけわたしはすべてを赦せたらとせつにねがう。

そんなことをおもえるようになったのも、結局おおくはない選択肢のなか、蜘蛛の糸のようになんとかえらんだ微かな光のようなそのたよりないすべてをつづけてきたのだからだとおもう。つづけるしかないと。

つづけてみないと

おもいしんじつづけるしかないと。




だれだってだれにもおかされたくないいまにもこわれてしまいそうなちいさなはこをもっている。

あけていいのは本人とすべてをうけとめる覚悟のあるにんげんだけだってわたしはおもう。




なぜひとはうまれ、なんのためにひとはいきるのか、そしてほんとうのしあわせはなんなのか、

これらは、どんなに発達したこのせかいにおいて科学でも実証なんてすることは到底出来ず、なんの神様も信仰していないわたしからいわせてみたら、すべてはじぶんのてのなかにあって、いかようにもこたえをみつけることはできるんじゃないかってさがしている。その術がただしいのかまちがいなのかさえわからないけれどこんなあほみたいにいきている。



はなしがきゅうなかんじだけど一昨年の日本アカデミー賞で主演女優賞を受賞した際の蒼井優さんのことばがわたしはわすれらんなくて、あのひ、またすこしゆめをみたきがして。そうやってひとはつづいていくのかなって。




できるだけ光が多くせかいに降り注ぐといいな。


むせきにんな記録だななんてかんがえながらも。

| - | 12:08 | - | trackbacks(0) | pookmark |
この記事のトラックバックURL
http://blog.takayamaeri.com/trackback/917443
トラックバック